
鼠小僧 - Wikipedia
鼠小僧(ねずみこぞう。「ねずみ小僧」とも表記。寛政9年(1797年) - 天保3年8月19日(1832年9月13日))は江戸時代後期、化政時代に出没し大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯。本名、次郎吉(じろきち)。合わせて「鼠(ねずみ)小僧次郎吉」と称される事もある。本業は鳶職であったと言われ、義賊の伝承で有名な人物。まあ、無為徒食をしている連中(サムライ)から小判を分捕ったんだから、義賊だね。
7年にもわたって武家屋敷71箇所、90回にわたって忍び込み、ついに天保3年(1832年)5月5日(日付については8日などの諸説あり)、日本橋浜町の松平宮内少輔屋敷で捕縛される。
北町奉行・榊原忠之の尋問に対し、盗んだ金銭の総額については3000両以上と鼠小僧は供述したが、本人が記憶していない部分もあり、諸書によっても違うので正確な金額は未だに不明である。
3ヵ月後の8月19日に市中引き回しの上での獄門の判決が下される。この刑は本来なら凶悪犯(放火や殺人)に適用される刑であり、この判決は武士階級の面子を潰された恨みの産物という見方も出来る。なお、市中引き回し時の鼠小僧は美しい着物を身に付け、薄化粧をして口紅まで注していたという。
処刑は小塚原刑場にて行われた。享年36。
一体いくら盗んだのか、諸説があり正確には分からない。一説には1万2000両とも言われる。現在価格でいくらぐらいだったのだろうか。拙者の考察:
鼠小僧次郎吉はいったいいくら盗んだ? 約10年間で100回、大名屋敷を専門に荒らし、盗んだ金額は合計で1万2000両とのこと。現在価格でいくらぐらいになるかであるが、女中さんの給料が年間で2.5両だったり、一人前の相撲取りが年間に十両稼ぐから「十両」と呼ばれた時代の話、たいへんな金額となる。給料水準比較から見た我々の実感ベースでは一両約20〜30万円程度。ということは、鼠小僧は目の子で30億円も盗んだことになる。3億円事件どころではないのである。10年間に渡り毎年3億円強奪を繰り返していた計算。たしかに並の泥棒ではない。それにしても、昔の武家屋敷は不用心だった。銀行というものがなくみんなタンス預金をしていたのだから仕方がないのだが、もう少し頑丈な金庫を作るとか、一工夫あってもよかった。
1 件のコメント:
平成の鼠小僧は「霞ヶ関埋蔵金」なんか狙えばいいと思う。そして納税者に返せ!
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